余錄翻譯 - 1917年的俄羅斯革命...

Posted by Peter on April 6, 2022

譯文

1917年的俄羅斯革命中逃到國外的人們被稱做白系俄羅斯人。顏色的區分是來自於與紅軍對抗的白軍。逃到日本領地的南樺太(薩哈林南部)的人中,也有受到俄羅斯帝國支配的烏克蘭人與猶太人。

大鵬的父親是昭和時代其中一位的大橫綱。革命前出生於烏克蘭哈爾科夫,而後移居至薩哈林。雖然在南樺太與日本女性建立了家庭,卻與在蘇聯的對日攻擊中與逃到北海道的家族分離。

蘇聯解體後事情的經過逐漸明朗,大鵬在2011年時獲頒了烏克蘭的友好勳章。在面對黑海的港灣城市奧德薩建造了含有土俵的銅像。奧德薩也是大鵬的父親搭乘著蒸汽船朝極東出發的場所。

這次的烏俄戰爭中,有20人前來日本避難。雖然移動、通訊的手段比起一世紀前有著大幅度的進步,但離開故鄉的憂愁卻沒有絲毫改變。讓他們能夠安心地待在日本是首要任務。

很多逃到日本的白系俄羅斯人無法在日本展開新生活,從而前往了美國、澳洲。如今只要想到日本有著「對難民冷淡的國家」的評語,就不禁捫心自問。

理解因戰火流離失所的四百萬人的心情的人不在少數。想必波蘭、摩爾多瓦等周邊國家也會持續給與支援。卻不知道世人能否善用這份心情,溫暖的對待需要留住的人。也希望日本能夠藉此機會重新學習。

原文

1917年のロシア革命で…

 1917年のロシア革命で国外に逃れた人たちは白系ロシア人と呼ばれた。赤軍に対抗した白軍と同じ色分けである。帝政ロシアの支配下にあったウクライナ人やユダヤ人も含まれ、南樺太(サハリン南部)を領有していた日本に亡命した人もいた

▲昭和の大横綱、大鵬の父親もその一人である。革命前にウクライナのハリコフで生まれ、サハリンに移住した。亡命した南樺太で日本人女性と家庭を持ったが、ソ連の対日参戦で北海道に逃れた家族と離ればなれになった

▲ソ連崩壊後に詳しい経緯が明らかになり、大鵬は2011年にウクライナの友好勲章を受けた。黒海に面した港湾都市オデッサには土俵入りの銅像が建てられた。父親が極東に向けて蒸気船で旅立った場所とされる

▲ロシアに侵攻されたウクライナの避難民20人が来日した。移動、通信手段は1世紀前より格段に進歩したが、故郷を離れる心細さはそう変わるまい。まずは安心して滞在してもらうことが肝要である

▲日本に逃れた白系ロシア人の多くは生活になじめず、米国やオーストラリアに移ったという。今も「難民に冷たい国」という評価があることを思えば、胸に手を当ててその理由を考えたい気持ちになる

▲戦火で祖国を逃れた400万もの避難民の心情に共感する人は少なくあるまい。ポーランドやモルドバなど周辺国への支援も続けられるだろう。その気持ちで定住を求める難民にも温かく接することができないか。日本のあり方を見つめ直す機会にもしたい。

大綱 あらすじ

ロシアから逃げて、日本に亡命し、移住した人がいる。が、ロシア侵攻されて以来、避難民が数十人来日した。現在の状況では安心させるのが一番大事なことである。一方、20世紀頭のロシア革命で日本に逃れた白系ロシア人の多くは日本ではうまく生活できず、欧米諸国へ移住したことがある。日本がどのように暖かく難民を受け入れるのはさぞ政府への難問だろう。

單字 単語

樺太 からふと

  • 格段(かくだん):物事の程度の差がはなはだしいこと。また、そのさま。「一年前に比べて格段に上達した」「格段の相違」

  • 心細さ(こころぼそさ):心細いさま。不安や心配のあるさま、頼りない様子。またはその度合い。

  • 肝要(かんよう):非常に大切なこと。最も必要なこと。また、そのさま。「何事にも辛抱が肝要だ」