余錄翻譯 -「四人的警官」是第二次世界大戰中...

Posted by Peter on April 7, 2022

譯文

「四人的警官」是第二次世界大戰中羅斯福總統提出的戰後構想。意指美、英、中、俄的協調所構成的和平維持體制。而後增加了法國,使聯合國安理會的常任理事國變為五國。這個構想是建立於聯合國對自身無法終止戰爭的反省。

過程一波三折。問題來自於蘇聯強力要求擴大否決權的應用範圍。關於否決權是否能於自己所參與的糾紛中使用,美英兩國當初對此抱持著反對的態度。在1945年2月的雅爾達會議後,英國首相邱吉爾改口承認,因而成立了蘇聯的主張。

這份判斷似乎在後世留下了禍根。在俄羅斯對烏克蘭的侵略中,安理會就像是處理「警察自己人犯的罪」一樣無力。烏克蘭的總統澤倫斯基會訴求「聯合國立即需要改革」也是必然。

冷戰時期蘇聯頻繁地行使拒絕權使妨礙國際社會行動的一致性,美國也因以色列的關係在行使與否中徘徊,近年國際影響力加大的中國也變得更常行使否決權,種種都因素都指向安理會功能的不完全。

包含日本,要求重新檢視安理會的結構與拒絕權的國家不在少數。但隨著改革的呼聲加大,現實卻是日常對立著的五個大國這時候就會抱在一起守護特權。

拒絕權的英文是「VETO」。起源為古羅馬賦予保護市民的護民官所擁有的特權。我們期待著有人能夠抱持覺悟主導安理會改革,一展守護烏克蘭市民的大將之風。

原文

「4人の警察官」は第二次大戦中に…

 「4人の警察官」は第二次大戦中にルーズベルト米大統領が唱えた戦後構想である。米英中ソの協調による平和維持体制を指す。のちにフランスが加えられ、国連安全保障理事会の5常任理事国につながった。大戦を止められなかった国際連盟の反省に立った構想だったという

▲曲折もあった。問題はソ連が強く求めた拒否権の範囲だった。自らが加わる紛争への拒否権まで認めるか。米英両国は当初、反対の姿勢だったが、1945年2月のヤルタ会談でチャーチル英首相が容認に転じ、ソ連の主張がほぼ通った

▲その判断が後々に禍根を残したということか。ロシアのウクライナ侵攻で安保理が「警察官自身の犯罪」にいかに無力かがあらわになった。ウクライナのゼレンスキー大統領が「国連改革が今すぐ必要だ」と訴えたのも当然である

▲冷戦時代はソ連が頻繁に拒否権を行使して国際社会の一致した行動を妨げた。米国もイスラエルが絡めば行使をためらわず、近年は国際的影響力を高める中国の行使も増えて安保理の機能不全が指摘されてきた

▲日本を含め、安保理の構成や拒否権の見直しを求める国は少なくない。だが、改革の声が高まると、普段は対立している5大国が足並みをそろえて特権を守ろうとしてきたのが現実である

▲拒否権は英語で「VETO(ベトー)」。古代ローマで市民を守る護民官に与えられた特権が語源という。身を切る覚悟で安保理改革を主導し、ウクライナの市民を守る決意を示す大国の姿が見たい。

大綱 あらすじ

第二次世界大戦後、国連安保理で現在五つの国があった。安保理では様々な議題に決着をつける機構で、莫大な権利を持っている。しかし、安保理での条約を結ぶため、一票でも拒否権がなくてはいけない。ゆえに現在のロシア侵攻では、ロシア自身が一票をもっているので、ロシア自身が拒否権を行使する以上、国連の最大機構である安保理は何の手も出せない。こんな風の特権制度はさぞ収まるとよい。

單字 単語

  • ためらわず:あれこれ悩んで踏みとどまらず、決心して、といった意味の表現。「躊躇う」(ためらう)は、するべきか、するべきでないかと、迷うこと。「躊躇」(ちゅうちょ)とも言う。