相手はつらさ (中国語訳付き)

困難を相手にするときのつらい気持ちについて

Posted by Peter on April 12, 2022

ゲームの種類には、ローグライクというものがある。通常のローグライクゲームには「死んだらおしまい」という定めがあり、死の輪廻の中に強くなることが一般的である。つまり、ゲームをクリアするには、死亡を繰り返し、自分のテクニックやキャラの強さがあるレベルに達っしてはいけない。私はその繰り返した死亡のつらさを面するのがいやだ。

つらさを具体的に言うと、時間の無駄遣いがいやか、あるいはゲームの難しさにむかつくか、私は判断できない。でも私はパソコンの世界で、ほんの少しのつらさに感じたくはない。そして私の人生でもそうだ。

ならば困難に対し、色々なクエスチョンが生まれたのだ。「人は困難と会わなきゃ成長しないのか」「困難は必ず成功とつなぐのか」「困難で成長することにつれ、自分がうれしくなくても大丈夫のか」。

多くの物語では「困難を乗り越えれば、更なる人間になれる」という教えがあった。ならば今すぐ仕事を辞めて、医大に受験するほうが早い。冗談のように見えたが、事実はそうであろう。事々の難しさを測る物差しが必要であることは他人も自分もよく知っている。そして物差しは単なる鉄の塊で、目盛りが必要なんだ。難しさを測る目盛りを作るには、自分のやる気、今後の発展、他人の考え、いろんな要因を取り入れなければなるまい。

そこで物差しがよい言い訳になる。困難にあったときに、自分の物差しには目盛りがあやふやだからあきらめよう、というのは一般的だ。不器用な言い方ではあるが、人のいう言葉には違いない。そういっても、私はいま物差しの目盛りを校正する気は正直ない。ただ自分が困難から逃げることに普遍性を追加し、自分の言葉を道徳の高位に立とうとするだけだ。

中国語訳

在遊戲的種類之中,有著叫做Rouge Like的遊戲。在一般的Rouge Like遊戲當中有著「死掉就結束」的準則,所以很普遍的會看到角色在死亡的輪迴中變強。也就是說為了通關遊戲,必須反覆地死亡,並將自己的技術或是角色的強度提升到一定等級才行。我很討厭面對這種反覆死亡帶來的難受。

具體說明這份難受的話,究竟是討厭浪費時間,還是對於遊戲的難度感到生氣,我無法判斷。但在電腦的世界中,我一點都不想體會到難受的感覺。在我的人生亦然。

於是對於這份困難,許多的問題隨之而生。「人生要面對困難才會成長嗎」、「困難一定與成功連結嗎」、「伴隨著在困難下成長,但自己不開心也沒關係嗎」。

在很多的故事中有著「越過困難,就能成為更好的人」的啟示。那我不如現在就把工作辭了去考醫科還比較快。雖然很像是玩笑話,但事實也是如此吧。大家都知道測量事情的難易度需要一把尺,但一把尺也指不過是單純的鐵塊,必須加上刻度。為了加上刻度,就要一併考慮到自己的鬥志、往後的發展、別人的想法等等的因素。

於是這把尺就成為了很好的藉口。在遇到困難時,很常會說,因為不確定自己的尺上的刻度所以放棄吧。雖然聽起來很沒用,但卻是人們會講的話。雖然這樣說,我現在確實沒有校正尺上刻度的心思。只是將從困難逃離這件事情加上了普遍性,把自己的言論立於道德的制高點上罷了。